震災直後は、いわゆる最低限の生活基盤の再建が最優先で、これらを迅速かつ短期間で進めて いくためには、力仕事やお金が即効力となり、私の関わる芸術などは無力で、今まで何に夢中に なって生きてきたのかと、日々悲しくなっていました。あれから一年経って、未だライフライン の復旧にすら漕ぎ着けていないようにも見えますが、そろそろ、生活再建と並行してあるべき心 のケアに光があたるのだとしたら、今こそ芸術の役目があり、私たちにできることがあるのでは と、最近思い至りました。芸術とは、長い目で人と人の関わり合いに、ともに寄り添っていける ことだと思います。同時代に生きる者として、幾年経っても、ともに忘れないでいることは、と ても大切なことだと思います。

よって、今こそチャリティー展をというエディション・ワークスさんの思いに同感したものの、 版画制作という形で、ご協力できれば嬉しいのですが、チャリティーを目的とした作品で何を描 くべきかイメージできず、制作の動機と支援をしたいという気持ちが結びつかず、画家としての 姿勢をとりあぐねていました。

今、芸術にできることは、受けとめてもらうより、受けとめ合うことかと思い、知人より「道 のカフェ」という支援の形を知り、たとえば、一日出張版画工房などを被災地で開催し、体験イ ベントを行うという形なら参加出来るのではと、ふと頭に浮かびました。

時を同じくして、開催中の個展会場に並ぶ、昨年の 3 月 11 日のスケッチを軸にした作品群を 久しぶりに眺めていると、ここに描かれていることと、今自分が立っている位置との微細な変化 に気付き、一年経った同日も、やはりあの日と同じ庭の早咲きの桜の木と対峙しなくてはと考え、 ならば、それをモチーフに版画という一呼吸置いた手法での表現が適切なのではと考えました。

今年の満開時期は昨年より遅く、当日は桜の木の根っこに近い位置の花から少しずつ咲き始め ており、空に近づけば近づくほど、小さなつぼみをいくつも付けた表情でした。それは、すこし ずつ着実に、誰彼の上にも春は等しく訪れてくれることを、小さく知らせてくれているようでし た。そして、そのスケッチを眺めつつ、直接銅板に描きこむ技法(スピットバイト)で制作しま した。再び銅板上に記録した瞬間を描く際に、臨場感を優先させたので、実際のスケッチと仕上 がりの版画は反転しています。また、実際のノートよりサイズが小さくなっているのは、スケッ チしている時のように、画面を覗き込んでいる感じを表現したいと考えたからです。

「道のカフェ」を終え、記録写真を眺めつつ、見聞きしたことを思い返しています。この度の 様々な経験は、人の弱さと強さ、自然の怖さと優しさ、そういった目に見えない力を、心身で感 じ取ることが出来ました。また、忘れないこと、普通でいることを、改めて心に刻みました。

皆様に出会え、この機会を得たことに感謝です。ありがとうございました。

震災から一年を過ぎた今から、長く深く寄り添っていくことができるのは、芸術・文化の大き さ豊かさだと信じています。

2012年3月28日
津上みゆき